3月といえば卒業式.
卒業式と言えば,別れの季節である.私はいつもこの時期,不安になる.
果たしてこの状態で,彼らを社会に送り出していいものかと.私から見て,まだまだ未熟な知識,不器用な実験スキル,口下手で洗練されていないプレゼンテーション.
会社の採用担当者から見れば,良くそんな状態でこちらに送ってくるものだと思われるのではないかと,不安に思う.
まぁ,その一方で私のようなちゃらんぽらんな教員の下でよく1年もったなという気持ちもあり,まぁよっぽどエキセントリックな上司にでも当たらない限りは,何とかなるんではないかとも思うのである.
そもそも私をはじめ,大学教員のほとんどは教員免許を持っていない.これがバスやタクシーの運転免許なら無免許運転である.アウトである.免許のない人が運転するバスやタクシーには乗りたくない.
しかし,大学教員は博士を持っているから,少なくとも国際的な研究成果を出し,研究者としては世界に認められている研究能力を持ち合わせているという証明はある.バスやタクシーは運転できないが,F1マシンでは(その分野では)世界クラスという感じである.
では,学生がいきなりF1マシンを乗りこなせるかと言われれば,まぁ,たいていそうではない.ましてや,事故らずに無事に1年走り抜けただけでも偉業だと言ってよい.うまく運転できるわけないのである.しかし,僕はF1マシンに触って乗ったことがあるんだぞという経験は重要である.これが,大学で習ったことは役に立たないといわれる一つの理由ではないかと思う.そう,大体,バスやタクシーの運転にF1マシンの運転テクニックは役に立たない.むしろそんな運転は危ない.だれも,客を乗せてコーナーを攻めてほしくない.私もそういう認識は持っている.しかし私はバスやタクシーの運転はうまくない.
彼らに待っているのは,これまでと違う世界である.大学までは近い年齢で価値観の近い人間ばかりと付き合っていることが多いが,社会にでると,様々な出自,価値観,年齢の人間とうまく折り合いつつ,仕事をこなしていかねばならない.大変なストレスである.なので,私のような少々頭のおかしいおっさんに出会っておかねばいけないのである.無茶ぶり,方向転換,思い付きでものをいう,首尾一貫しない言動.こういったことに慣れておかねばならない.
時に学生にはストレス,プレッシャー無茶ぶりを与えることもある.私のマネジメントの悪さ故のエクスキューズと言えなくもないが,大学教員は聖人君主では決してない.普通のおっさんだと思って付き合えばいいやくらいに思ってもらえれば正解なのである.そう思って日頃から接している.聖人君主のつもりで接するのは私もシンドイ.
まぁ,せいぜい事故らなかったことを幸運と思い,社会に出て行ってもらえればよい.とにかく安全運転を心がけてくれ.と願うばかりである.
今年の学生にはこういう言葉を送った.
「あれ,おかしいなと思ったら,とりあえず,肉,それも牛肉を食え」
と.
メンタルの不健康が一番よくない.社会人になったら,たいていひどいストレスにさらされるし,メンタルに不調をきたすこともある.牛肉を食べるとアナンダミドという幸せ物質が出ることが知られている.「なんのために働いている,何のために生きている」など人生に悩みは尽きない.牛肉を食えば少しは緩和されるのである.また,そんな悩みに突き当たったとき,大学のおっさんのできることなどたかが知れている.せいぜい焼肉に連れていって一緒に酒を飲み,愚痴をきくくらいである.大学の指導教員など,何も「人生」や「将来」についてなにも指導などしていない.ただ,自分の研究の専門分野につき合わせて,F1マシンの運転をちょっとだけ「指導」したくらいのおっさんである.たまに顔を見せれば,(そのとき暇なら)焼き肉をおごってくれる,かもしれない.
たまには顔を見せて,元気にやってる様子くらいは知らせてほしい.と本当は思っている.
ま,みんながんばれ.
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