


というわけで,1年ぶりの更新になってしまいました.
別にサボっていたわけではないのですが,11月ぐらいから忙しすぎて記憶がないほどでした.応用物理学会,電気学会全国大会とハシゴして,昨日の深夜に帰阪したところでの,学位授与式でありました.
正直に言えば,そんな実感はないのですが,大阪工大に着任したときの1年生(新入生)が今回の学部生の卒業生です.早すぎて意味は分からないのですが,こうやって書いてみると時の流れを感じます.
毎年,卒業生に贈る言葉をここに書いていて,どうせ卒業生は見ていないだろうと思っていたら在学生が見ていて,更新されませんね.どうなっているのですか?と聞かれました.
さて,今年は,私が主担当で初めて出した修士の学生を2名,学部生7名を送り出しました.
学部生7名中5名はそのまま残り,1名は他大学院,1名は就職となりました.
修士2名はどちらも就職でした.
さて,私は「葬送のフリーレン」に登場する大魔法使いゼーリエの
「何故か私は弟子をとって後悔したことは一度も無いんだ、たとえ歴史にその名を残せずとも」
というセリフが好きで,そうありたいと思う一方,常に矮小である自分との葛藤があり,修士の学生に満足な2年間を過ごすことができたかと問われたとき,私は答えに窮してしまうのである.やはり,研究と指導というのは難しい.
私には師とあおぐ先生が1人おり,残念ながらその人は私の指導教員ではない.共著論文もない.共同研究もない.ただ,学部生の1時期に足しげくその先生の研究室にお邪魔しただけである.
その人からすれば他愛のない,学部生との雑談であったかもしれないが,その人の言葉を一字一句とまでは言わないが,かなりの精度で覚えている.共感もしたし,感動にも似たインスピレーションを受けたこともあった.人生の師を据えるなら,この面白くて深い,業績だけある平凡な教授にはない,何とも言えない味のおっさんに私はついて行かなかった.
研究室選びの際に,誘い文句が当時の私には,甘美で理想的で,そして妄想に思えたからである.
「大学での研究は,しょせん暇つぶし.どうせなら,思いっきりおもろいことを1年,3年やろうや!」
という一言である.それは40台を過ぎた私にはよくわかる.先生は,思いっきり本音でラブコールを送っていたのだ.と.
きっと大学法人化前の理学部でしか言えないセリフだろう.
工学部で,就活でも話しやすく切り口を応用に向けたテーマは,しょせん10年スパンで見れば良くてゾルトラーク,悪くて凡庸なくず論文になって終わるだけである.画期的成果も数10年で見れば,使い古された一般攻撃魔法になってしまう.結局,私はそこそこ時流に乗った研究室を選び,さほど画期的成果も残せないまま20年研究を続けている.
よく学会でいわれる事であるが,Dr.くらいになると師匠に似てきてプチ教授のようになる現象である.それは,やはり研究指導を通じて,師匠のフィロソフィーが引き継がれ,続いているからなのだと思う.
私には,書類上3名の師匠と呼ばれる人がいて,学部から修士の教授,博士の指導を行った研究所のボス,そして筑波大の研究室の教授である.私はいずれの先生にも似ていない.研究室を渡り歩いてきたので,余計にそうだが,ずっと,ずっと心に引っかかっていた
「大学での研究は,しょせん暇つぶし.どうせなら,思いっきりおもろいことを1年,3年やろうや!」
が心の中にある.
その研究をやってて面白いか?つまらんか?
つまらんとしたら,それは師匠である私の力不足である.魅力を伝えきれなかったせいもあるし,受け取る側の技量を見誤ったのかもしれない.
ともかく,おもろく研究できたなら大成功,つまらんと思っても,修士に必要な最低限度の指導と修論を完成させたなら,それはそれでよい.
ともかく,学士(工学),修士(工学)取得おめでとう.
研究は果てしなく続き,日常は一見すると変化に乏しい.日常に嫌気がさしたとき,人は研究に向かうのかもしれない.
修士の学位は専門家の証.何に対しても科学的考察に取り組む素養は身に着けたはず.自信をもって社会に飛び出ていけばよいとおもう.
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